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駅付近で自転車を組み立て,一気に南下し城ヶ島へ。
城ヶ島の大きさは,ちょうどディズニーランドとディズニーシーを合わせたぐらい。小さな島です。
この島で,まず海食台と海食洞,それに断層を見学するつもりです。
島につながる城ヶ島大橋では,風が大変強く,橋の欄干(手すり)から海へ落っこちそうになりました。
島に着くと,海岸に出るために,おみやげ物屋さんなどが連なる細い路地を自転車で通りました。周囲の方々の視線がキツい!なるべく目を合わさないようにして海岸へ。
風はめっぽう強く,波にさらわれそうで怖いぐらいだったのですが,海岸で海食台を見つけました。
というか,そこらじゅうすべて海食台! 探す必要がないくらい,海食台だらけでした。
あとで調べたら,そもそも三浦半島じたいが海食台だそうです!
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次に,海食洞をゲットするために,城ヶ島ハイキングコースを進みました。
あたりに人っ子一人もなく,風が猛烈に吹き荒れる中を,5分ほど進むと,遠くに海食洞が見えました。
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「馬ノ背洞門」というそうです。
浸食 (よく「侵食」と書いてある本がありますが,正しくはサンズイだと思います) 作用によって,岩がくりぬかれた形です。
関東大震災の前までは,船が穴の中を航行できたのだそうですが,地震で隆起し,今は陸になってしまったそうです。
あまりにも風が強くて,近くまで行くのは危険と感じ,遠くから写真を撮りました。
ハイキングコースから戻って,今度は断層をゲットするために,そこらへんを徘徊しました。
明らかに京急ホテルの敷地内と思われるところをあっち行ったりこっち行ったり。
とうとう,ホテルの西の海岸近くで,断層をゲットしました!! 本日の一番の収穫です。
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左右からの押す力でズレたので,逆断層です。
断層がこんなにはっきりわかるところがあるなんて,感動ものです。
中学入試問題集を見ていたら、2009年のカリタス女子中で、まったく同じ場所の写真が出題されているのを発見しました。びっくり!
次に,地層の傾斜を見るために,城ヶ島を離れて,通り矢という地域へ。一説によると,源頼朝がここど通し矢をしたという由来もあるそうです。城ヶ島大橋を渡ってすぐの街のはずでしたが,迷ってしまいました。
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砂岩(白っぽい)とデイ岩(灰色っぽい)が交互に積み重なった地層で,見事にナナメになっていることがわかります。
道路ぎわなので,車には気をつけました。
次に見るのは「しゅう曲」です。
海岸沿いの道路を北西に向かいました。
この「しゅう曲」は,一般的な「左右からの押す力」でできた地形ではないようですが,見事に曲がっていました。
続いて,活断層を見るために,三浦半島の東側へ。
三浦半島は真ん中に台地があるので,結構なアップダウンをがありました。
活断層を見ることができるのは,南下浦中学校の敷地内です。
平日ならば不審者として通報されそうですが,誰もいなくてラッキーでした。
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おおっ,活断層って,こういう裂け目なんだ…。
いかにも不気味です。
ちょっと遠くから写したのが,次の写真。
すぐ隣には,活断層を監視する機械と,解説板が。
さて,次は,理科の教科書にもよく掲載されている,という「地層の傾斜」。
見事にナナメになっています。
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もう正午をすぎたのですが,時間がもったいなくて朝食も昼食もまだ食べていません。
ハラへったな〜と思いながら走っていると,いやにデカい公園がありました。
名前を見ると,「ペリー公園」!! そう,ここはもう浦賀,上陸したペリーさんを記念して造った公園に違いありません。
公園の中には,立派なモニュメントが建っていました。
ペリー上陸記念碑(表) |
ペリー上陸記念碑(裏) |
ちょっとボケてしまいましたが,「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と書いてあります。
「伯理」というのが,ペリーさんのことなんでしょうね。
なお,この字は伊藤博文さんが書いたものだそうです。大変上手ですね。
公園の中には「ペリー記念館」があり,無料だったのでちょっと入ってみました。
中にはペリーさんの写真もありました。
そして,いよいよ最後の地層見学,「不整合」です。
海の中に地層が積もっていたのが,地殻変動により土地が隆起し,風化されたり浸食されたりした後,その浸食面の上に新しい地層が重なるときの,古い地層と新しい地層の関係を,「不整合」といいます。
防衛大学校に行く途中の坂にありました。
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これで地層の見学はおしまい。やっと,本日最初のメシです。
昼メシは,天丼やさん岩松の「海鮮丼」でした。
ボリュームもあり,とてもおいしかったです。
お店が混雑していて,写真を撮れなかったのが残念です。
おしまい。